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2012年10月22日 (月)

『探検家、36歳の憂鬱』

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 『探検家、36歳の憂鬱』 角幡唯介 著  文芸春秋
 チベット奥のツアンポー渓谷と北極を探検したかくはたさんのエッセー。これは評価が分かれる本かもしれません。ツアンポーの話(『空白の五マイル』)があまりにも面白いので、エッセーは不思議な感じですが、私はかなり共感を覚えて読みました。
 共感した一点目は、冒険や探検と書くという行為の関係。すなわち、冒険はノンフィクションになるのかという主題です。冒険がノンフィクションとして面白いのは、予期せぬ出来事が起き、九死に一生を得たときです(空白の五マイルにもそれは勿論あります)。でも、書く目的でわざと失敗を演出すれば、それは事実を書いたとしてもすでに行為自体がフィクションになってしまうと角幡さんは言います。
 私もブログを書いていますが(本に出すのとはレベルの違う表現方法ですが)、その中にも意図せず陥った苦境と、演出した苦境がある気がします。たとえば、恵庭600で変速機が故障し9速縛りになった時は意図していませんが、札幌200をブロンプトンで走るというのは、計算されています。
 自転車に限らず、海外旅行でも、若い頃は騙されまいとしても騙された逸話が面白かったのに、最近は「こいつ騙すかもしれないけれど、そういうのが少しくらいあった方が面白いからから少しつきあって騙されてみるか」みたいな心境になっていることがあります。
 ブログの読者を意識して、こうしたら喜んでくれるかななどと考えて行為を起こすことが私にも結構あるということです。ブログに自分の行為を少し左右されています。だから、ブログとかを止めてしまう人とかも多いのではないでしょうか。しかし、私は、結局私のブログの読者は最終的には一人しかいないと思っています。それは私自身です。ブログを本にしたものを母親に送ったのに、彼女がほとんど読んでいなかった時にそれを悟りました。私自身の老後の楽しみにしようと思っています。だから続いているのかもしれません。
 二点目は富士登山が若い人の間で流行っている事に違和感を感じ、その理由が、現代人が無意識のどこかで身体性の回復を欲しているからではないかと分析しています。私も羊蹄山に大量に登る山ガールを見て大変な違和感を覚えていました。別に山は誰のものでもないから大きなお世話かもしれませんが。
 三点目は生い立ちの部分が、たまたま最近読み返した浮谷東次郎の『がむしゃら1500km』と似ているなと思った点です。どちらもそれなりのお金持ちの家に育ち、自分の存在意義を求めて親元を飛び出し、一般から見るとかなりな冒険に出て、それを本にしています。
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 四点目は最後の章が「グッバイバルーン」で太平洋横断に挑んで行方不明になった神田さんの事が書かれていた事です。角幡さんは石川君とも昔からのつきあいがあったようですし、神田さんに2回目の太平洋横断のパートナーとして声もかけられていました。最近私が読んだ冒険ものの本が、この章ですべて完結するような感じでした。
 この本は冒険について冷静に分析していて、冒険がだんだんエスカレートして死に至る事になりやすいことがよく分かるように書いてあります。角幡さん自身もよく理解している筈なのだと思います。しかし、次は(あるいはいつかは)北極点通信機器不使用単独踏破が目標になりつつあるのだなと感じました。
 私の次の目標は何なのでしょう。

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