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2012年10月19日 (金)

『アグルーカの行方』

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 『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』 角幡唯介(かくはたゆうすけ)著 集英社
 『空白の五マイル』の著者が今年9月に発表した本。1845年にカナダ北部で遭難したイギリス探検隊。全滅したと思われていましたが、その後の調査でその中に、イヌイットから「アグルーカ(大股で歩く男)」と言われた生き残りがいたかもしれない可能性も否定し切れません。そして角幡さんは、彼(ら)が歩いたとしたら、ここだったのではないかというルートを、その季節にはイヌイットも含めて誰も通らない所も含めて冒険家萩田さんと共に103日間、1600kmも歩いた記録です。
 前回のツアンボー渓谷でもそうでしたが、過去の探検隊の足跡のたどり方と自分の冒険の重ね合わせ方が絶妙です。
 今回は少し前に読んだ植村さんの北極行との比較も知らず知らずのうちにしてしまいました。唇から血のつららが出来たり、空腹に耐えきれずバッファロー?を殺して肉を食いまくったり、不毛なツンドラ地帯をずっと歩いたりと角幡さんはすごい。しかし、やはり、乱氷帯を抜けるときの苦労とか寒さとか凍傷とかは同様にあった訳ですが、植村さんが一人で処理しきっているのは、改めてさらに凄かったのだとも実感しました。
 今回の冒険は二人で行っています。
 そういえば私も大学1年の時に高校時代の友達と釧路湿原を二人で旅しました。小樽発の寝台鈍行「からまつ」に乗り、午後に釧路着。湿原の中を歩いて、初日は鶴居村のミンク工場の寮に泊めてもらいました。二日目は鶴居から弟子屈まで歩き、弟子屈のお寺の木の下に野宿しました。三日目は摩周湖に歩いて登り、川湯の民宿に宿泊。四日目はとうとう屈斜路湖和琴でヒッチハイクし北見へ。そこで私はアーケードに野宿したいと言いましたが、彼はもう帰りたいと言って別れました。三日目あたりから歩き方のペースや宿泊方法をめぐって意見がすれ違い、最後は喧嘩別れみたいになってしまいました。それ以来、私は旅は一人か3人以上でないとだめなのかなと思うようになっていました。
 今回の角幡さんと萩田さんは二人きりで誰とも会わない何日間もの日々を一緒に過ごしたのは、私にはとても不思議なことでした。
 

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